日本玩具博物館*初夏の特別展

端午の節句飾り

      会期 2019年4月20日(土) → 7月9日(火)
      会場 日本玩具博物館6号館西室(東室は「ふるさとの雛人形展」開催)
端午の節句(節供)は、平安時代に中国から伝わったものとされていますが、時代を経るにつれ、日本人の季節に対する観念や信仰などを取り込んで発展していきました。
端午の節句は「菖蒲の節句」と言われるとおり、古くから菖蒲や蓬(よもぎ)が盛んに用いられましたが、これは香の強い植物に辟邪の力があると信じられたためです。中世、武家の興隆の中で、菖蒲が「尚武」の語音と通じることから、菖蒲の節句は、男児の祝儀と結びつき、武家の将来を祝福する行事へと展開します。それが、江戸時代に入ると、町家においても男児の幸福を願う節句まつりへと発展をみます。
江戸時代前期の頃は、家の門口の菖蒲兜、毛槍、長刀などの武具や幟を勇ましく立てる屋外飾りが主流だったのが、武者人形などのつくり物を室内に飾る風習も加わります。後期には、屋外・室内飾りともに大型化し、都市の富裕階級は、豪華な飾り付けで家の権勢を競い合いました。今日の節句飾りは、江戸時代に比べ、ずいぶん小型になっていますが、その様式化された飾り物の中に古い時代の華やかな屋外飾りの要素を伺うことも出来ます。
本展では、そのような近世の町家における節句飾りの歴史を受け継ぎ、明治・大正・昭和時代に町家で飾られた武者人形や甲冑飾りを展示し、各時代に人気を博した節句飾りの様式をご紹介します。京阪地方において、明治・大正時代は、江戸時代の流れを受け継ぎ、大将と従者の武者人形が主人公で、甲冑飾りはむしろ脇役だったのが、戦後になると、甲冑飾りの方が主、武者人形は小型化して、座敷飾りの下部に飾られるようになります。
一方、幕末から明治時代にかけて、豪華な衣装を身に着けた武者人形飾りが届かない農村部などでは、凹型に粘土を詰めて型から抜き、焼成した後に彩色して仕上げる土人形が飾られていました。大将と従者の組み合わせもあり、元気な男児の象徴である「金太郎」も人気がありました。全国各地に伝承される端午の節句にまつわる郷土人形や郷土玩具も展示いたします。 
展示総数  約30組100点
展示概要
武者人形
 武者人形は、端午の節句に飾られる鎧(よろい)や兜(かぶと)をつけた武者姿の人形。江戸時代中期頃から明治・大正時代までは屋内飾りの中心でした。
  和漢の歴史物語や芝居に登場する勇ましい英雄を人形化したもので、神功皇后と武内宿禰、秀吉と清正、義経と弁慶などが代表的です。一時は等身大に
  及ぶ大型の人形も登場しましたが、昭和以降は甲冑飾りに押されてしだいに作られなくなりました。
  昭和時代に入ると、関東製の小型の武者人形が百貨店などを通じて全国に普及します。
  
甲冑飾り
 武士の誉れの象徴として登場した鎧や兜の甲冑飾りが町家で飾られるようになるのは江戸時代中期以降のこと。始まった頃の飾り兜は、支柱にかぶせて置かれていたのが、明治時代になると、胴が膨らんだ鎧櫃(よろいびつ)に甲冑が飾られるようになります。唐櫃(からびつ)に飾りつける豪華な甲冑に弓矢・太刀飾り、陣笠・軍扇・太鼓飾りを合わせた節句飾り一式が販売され始めるのは明治末から大正時代です。人形店ばかりでなく、百貨店がプロデュースしたものも見られました。太平洋戦争を経て、日本の復興が果たされる昭和20年代後半から30年代、緑毛氈に矢襖(やぶすま)や金屏風を立て、甲冑を中心とした段飾りが全国津々浦々に普及をみます。
 
応神天皇と武内宿禰  
端午の節句の郷土人形と郷土玩具
   江戸時代後期、豪華な衣装をまとった武者人形や甲冑飾りが都市部の裕福な人々のものとして発展を遂げて行く一方、商品経済が広まり始めた各地の農村部などでは身近な材料を用い、素朴な節句人形や玩具が作られました。型抜きで量産される土人形、反故紙を使用した張り子人形、練り物製や木製の節句玩具などが土地ごとにユニークな着想で製作され、郷土の人々に歓迎されました。