2012年4月

フィリモーノボ土人形笛・小鳥を抱く貴婦人(ロシア/1970~80年代)



 マトリョーシカをはじめ、木彫りのクマの仕掛け玩具、色彩が美しい土笛など、ロシアでは、数多くの民芸的な人形や玩具が作られてきました。農家の納屋で、雪に閉ざされる冬の居間で、春を待つ庭先で……暮らしの中で作られるそれらには、人々の生活心情が込められています。
 ドゥイムコボ(キーロフ市)村の華やかな土人形は、日本でも早い時期に民間芸術品として紹介されて有名になりましたが、ドゥイムコボ土人形と並んで素晴らしいのが、トゥーラ州オドエフスク地区のフィリモーノボ村の作品群です。フィリモーノボ村は、良質の粘土に恵まれ、陶磁器の生産について、400年もの歴史を有しています。“フィリモンじいさんが土で壺や玩具を作っていた”という伝承があり、それがこの村の名の由来ともなっています。19世紀の終わりには、村の7割近くの人々が玩具作りに従事していたといわれ、たくさんの種類の土人形や土笛が作られました。
 フィリモーノボ土人形は、兵隊や騎士、貴婦人、幻想的な動物などが題材となり、のびやかで動きのある造形と、マリーナ(華やかで濃いピンク)、コバルトブルー、ダークグリーン、イエローの鮮やかな描彩が特長です。また、“小鳥を抱く貴婦人”のように、どこかに笛が仕込まれていることもフィリモーノボ独自の面白さだと思います。貴婦人が抱えた小鳥の尾羽が吹き口になっていて、笛の音色は雑音性を帯びた高温。指孔が一つ、ないし二つ設けられているので、孔を開閉しながら尾羽を吹くと、ピロピロピロ…♪と、小鳥がさえずるような明るい音が響きます。
 1970年代末、日本玩具博物館では、ロシア民芸に大きな関心をもち、在ロシア大使館やロシア民芸業者のご協力を得て蒐集活動に着手しましたが、フィリモーノボ土人形は、なかなか入手できませんでした。それが1993年、チェルノブイリ原発事故の被害に苦しむ子どもたちへの支援活動のため、日本語通訳として来日されていたニコライ=タチェンコ氏と出会い、彼の手を通して日本玩具博物館にたくさんのフィリモーノボ土人形がもたらされたのです。ニコライさんはロシア民芸復興の仕事にも携わったことがある方で、博物館活動にも多くのご協力を下さいました。玩具博物館の海外の玩具コレクションは、他国の方々の暖かいお心に支えらえれているのです。
 フィリモーノボ土人形(笛)は、4号館2階の常設コーナーでご紹介しています。

2012年3月

雛道具・貝桶と合わせ貝(明治時代)

 

 雛人形と一緒に飾る雛道具は、江戸時代前期の頃からみられました。貞享5 (1688) 年刊の『日本歳時記』には、お座敷の一角に屏風を立てまわして立ち雛と座り雛を並べ、その前には、三方にのせた菱餅や重箱、瓶子などの諸道具が描かれています。江戸時代はじめの雛飾りは、人形も雛道具も簡素なものであったことがわかります。時代が下ると、大名や武家の婚礼調度を模して小さく作った道具を、町家でも賑やかに飾るようになります。箪笥(たんす)、長持(ながもち)、挟箱(はさみばこ)、鏡台、針箱、化粧道具、懸盤(かけばん)、湯桶、飯桶、菱台、高杯、保貝(ほかい)、杯と杯台、書棚、黒棚、厨子棚…などなど。このような雛道具は黒漆塗り金蒔絵の豪華なものになっていきました。大名家の姫君は、お輿入れの際、婚礼調度の雛形を作り、目録代わりに婚家へ持参することもあったようで、そうした雛形の調度類が雛道具の前身といわれています。
 こうした雛道具の中に、合わせ貝が詰められた貝桶があります。合わせ貝は、「貝合わせ(=貝覆い)」という王朝時代より伝承される遊戯具で、360組の蛤貝の身と蓋を合わせて遊ぶ「貝合わせ」に用いられるものです。貝殻の内側には色絵具や金箔、金泥を用いて、花鳥風月や王朝物語の世界が繊細に描かれ、それぞれの一対は、身と蓋(ふた)に分け、別々の貝桶の中に収められました。実際に遊ばれる合わせ貝は横幅8~9cmの大きな蛤貝が選ばれましたが、雛道具の合わせ貝は3cmほどの小さな蛤貝です。
 写真でご紹介する貝桶と合わせ貝は、明治時代中頃のもので、仙蓼(せんりょう)、椿、れんげ草、撫子(なでしこ)、杜若(かきつばた)、桔梗、女郎花(おみなえし)、紅葉……など、十二か月の花々が色絵具で愛らしく描かれています。これは、現在6号館で開催中の特別展『雛まつり~江戸と明治のお雛さま~』の中でご紹介しています。

2012年2月

仕丁(明治30年代)




  


 雛人形とは、一般的に、内裏雛だけでなく、三人官女、五人囃子、随身(左大臣・右大臣)、仕丁を含めた15人揃いをさしています(かつて、地方ではこれら以外の人形でも、桃の節句に飾りつける人形は、皆、“雛”と呼ばれていました)。
 雛飾りの人形たちの中で、最も親しみやすいのは、“仕丁(しちょう)”ではないでしょうか。仕丁とは、徭役(君主や地主の命のもとに行われる住民の奉仕)に従事する人たちをさします。 “つかえのよぼろ”とも呼ばれ、大和朝廷の時代から存在しました。
 関東で好まれた仕丁は、台傘、立傘、沓(くつ)台)を捧げもち、かしこまった表情で座すものでしたが、御殿飾りなどに登場する京阪の仕丁は、食べ物の煮炊きをしながら酒盛りをしたり、掃除用の箒やがんじきを放り出して談笑していたり…と、庶民的で親しみやすい人々です。酒盛りの仕丁たちは、徭役の期間が明けた祝宴を開いているとも、宮中に婚礼を祝っているとも、様々な物語が想像されます。
 “泣き上戸(じょうご)、笑い上戸、泣き上戸 ”とも呼ばれるように、特徴的な表現によって雛飾りに人間的な感情をそえる役割を果たしてきました。写真の仕丁は、明治30年代の京阪製で、現在6号館で開催中の『雛まつり~江戸と明治のお雛さま~』に展示しております。雛飾りに一歩近付いて、彼らの豊かな表情をご堪能下さい。

2012年1月


玉とり姫(滋賀県東近江市/昭和中期)・玉とり海女(香川県高松市/昭和後期)

 


 2012年の干支の動物は辰(=龍)。「龍」を創造した中国において、それは、水中に棲み、必要になれば天空を飛翔することができる霊獣と考えられてきました。人知人力の及ばない世界を自在に翔る龍には不老不死のイメージが託されます。また、日本において、大空を裂くイナビカリが龍の姿とされ、農作稲作に恵みをもたらす雨の神としての信仰も集めてきました。こうした龍に対するイメージを背景に、辰年には「龍」の郷土玩具が製作されます。

 京都府の伏見土人形(京都市)、滋賀県の小幡土人形(東近江市)、香川県の高松土人形(高松市)などでは、海に住む龍神と人間との関わりをテーマにした郷土人形が作られています。それは、香川県さぬき市志度に伝わる伝説に基づいたものです。
・・・・・・藤原不比等は、志度の海で龍神に奪われた「面高不背の玉」をとり戻そうと身分を隠して志度へ。そこに暮らす海女と不比等は契りをかわし、海女は赤ん坊(藤原房前)を産みます。不比等から玉の奪還を頼まれた海女は、“房前を藤原家の跡取りにすること”を条件に龍宮へとおもむき、玉を奪い返します。けれど、龍神に追われた海女は命を落とし、玉だけが不比等のもとに戻りました・・・・。悲しい伝説に取材した郷土人形ですが、小幡の玉とり姫も、高松の玉とり海女も、その表情に悲壮感はなく、龍神を手なずけたように、大らかな笑顔で表現されています。
 これらは、現在1号館で開催中の企画展『十二支の動物造形』に展示中です。

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